オルタナティブスクール、卒論 [daily diary]
3連休の真ん中の土曜日、自宅近くにあるオルタナティヴスクールでずっと楽しみにしていた講演会があったので、行ってきた。
「“小さな学校の大きな挑戦~子どもの可能性を拓く教育~」
この学校はNPO法人が運営しており、公立の小学校とは違って「子どもが自ら学ぶ力つける」ための教育を行っている。私がこの学校の存在を知ったのは昨年の秋ごろ。昨年の夏、スウェーデンに旅行に行ったとき、ホストファミリー①家の子どもたちに付いて行ってスウェーデンの小学校の授業を見学させてもらったら、日本の教育とのあまりの違いにすごく驚いた。
そのときの記事はこちらと、こちらから。
上記の記事で詳しく書いてあるのだけれど、スウェーデンの小学校では特に「生徒たちが自分のペースで授業を進める」ところが、日本でみんなと一緒に国語の本を読み、みんなと一緒に算数の同じ問題をとき、みんなと一緒に・・・と何でも「みんな一緒」にしてきた私にとってすごく新鮮だった。
帰国後「日本にもこんな教育をしている学校はないかしら・・」と調べてみたところ、幸運にも近くにこうした学校があり、これまでも授業風景を見学させてもらったり、先生方にお話を聞いたりしていたのだった。
さて、この日の講演会は「画一的でない新しい教育の形」について話を聞くもので、2つのオルタナティヴスクールの理事長の話を聞くというもの。参加者は教育者が5割、子どもをもつお母さんが4割、私のような人(?)が一割くらい。
講演では学校での取り組みが丁寧に紹介されていたけれど、ここには書ききれないくらい本当に多彩!
例えば「自然エネルギー」について学ぶために、学校から延びている電線を生徒たちが辿っていき変電所にたどり着き、「変電所に来る電気はどこからくるんだろう?」ということを生徒自らで調べたり、自分が興味のあることを研究テーマにして調べたり体験した後、月1回保護者や生徒の前で発表したりしているらしい。
先生が「これをしなさい」「あれはしてはいけない」ということはなく、生徒が自分のしたいことを、自分なりのやり方で「チャレンジ」し、自分なりのやり方で「表現」し、自分から進んで「学ぶ」のがこうした学校の(一般的な)やり方らしい。
特に印象深かった話は、「公立の学校では先生が生徒を子ども扱いし、全員を“生徒一般”として扱いますが、私たちが実践しているのは“生徒一人ひとりが自分が自分として認められている”教育です。」という話。自分が自分として認められている教育か・・・。確かに日本の公立学校では、生徒一人ひとりの「その子らしさ」を十分に伸ばそう
という雰囲気は感じられない。むしろ、みんなに同じことをさせられ、みんなと協調することがよいと言われ、その中で模試の成績をどんどんあげなさい、という雰囲気じゃなかったかな。少なくとも私の通ってきた学校はそうだった。
私がこういう話を他人にすると、よく「でも勉強をしないと将来の選択肢も限られてくるから、小~高校生のときに無理矢理でもきちんと勉強させるのは必要じゃない?」と言われるが、今回の講演で理事長は「そうした教育を受けてきた大学生は、目的意識の無い人があまりにも多い」と言っていた。(ちなみに理事長の本職は大学教授。)
自分が何をしたいのかわからない学生が大学にどれだけ多いのか、大学に行っているみなさんならきっと実感として分かると思います。
またもう一つ印象的だったのは、「子どもたちが自分でやろうと決めたことを、途中であきらめて放り出そうとしたら、どのように続けさせるのですか?」という質問から会場から出た時の理事長の応え。
理事長:「途中であきらめてしまうことが悪いことではありません。大人だって、途中であきらめてしまう人はたくさんいるじゃありませんか。大切なのは“完成させること”ではなく、“自分がここまで頑張った”と思うことと、頑張ったプロセスです。」
確かに、私たちは自分たちでもできないこと、しんどいことを子どもに「やりなさい!」と言っているのかもしれないなぁ。(私に子どもはいませんが・・)その時点で大人>子どもの権力構造が出来上がっているけれど、大事なのは上からルールで押さえつけたり、服従させたりすることじゃなくて、「自分自身で考え、チャレンジし、表現する力」をつけさせることなのではないでしょうか。そして「自分自身で考え、チャレンジし、表現する力」を持っている先生も、少ないと思う。
ちなみに来年書くことになる卒業論文は、教育関係をテーマにしたいなと思っているこの頃。
大分実践的な情報収集ができてきたので、問題意識を明確にするため、これからは文献も読んでいきたいと思います。とりあえず明日は大学の図書館に行こう・・・
「“小さな学校の大きな挑戦~子どもの可能性を拓く教育~」
この学校はNPO法人が運営しており、公立の小学校とは違って「子どもが自ら学ぶ力つける」ための教育を行っている。私がこの学校の存在を知ったのは昨年の秋ごろ。昨年の夏、スウェーデンに旅行に行ったとき、ホストファミリー①家の子どもたちに付いて行ってスウェーデンの小学校の授業を見学させてもらったら、日本の教育とのあまりの違いにすごく驚いた。
そのときの記事はこちらと、こちらから。
上記の記事で詳しく書いてあるのだけれど、スウェーデンの小学校では特に「生徒たちが自分のペースで授業を進める」ところが、日本でみんなと一緒に国語の本を読み、みんなと一緒に算数の同じ問題をとき、みんなと一緒に・・・と何でも「みんな一緒」にしてきた私にとってすごく新鮮だった。
帰国後「日本にもこんな教育をしている学校はないかしら・・」と調べてみたところ、幸運にも近くにこうした学校があり、これまでも授業風景を見学させてもらったり、先生方にお話を聞いたりしていたのだった。
さて、この日の講演会は「画一的でない新しい教育の形」について話を聞くもので、2つのオルタナティヴスクールの理事長の話を聞くというもの。参加者は教育者が5割、子どもをもつお母さんが4割、私のような人(?)が一割くらい。
講演では学校での取り組みが丁寧に紹介されていたけれど、ここには書ききれないくらい本当に多彩!
例えば「自然エネルギー」について学ぶために、学校から延びている電線を生徒たちが辿っていき変電所にたどり着き、「変電所に来る電気はどこからくるんだろう?」ということを生徒自らで調べたり、自分が興味のあることを研究テーマにして調べたり体験した後、月1回保護者や生徒の前で発表したりしているらしい。
先生が「これをしなさい」「あれはしてはいけない」ということはなく、生徒が自分のしたいことを、自分なりのやり方で「チャレンジ」し、自分なりのやり方で「表現」し、自分から進んで「学ぶ」のがこうした学校の(一般的な)やり方らしい。
特に印象深かった話は、「公立の学校では先生が生徒を子ども扱いし、全員を“生徒一般”として扱いますが、私たちが実践しているのは“生徒一人ひとりが自分が自分として認められている”教育です。」という話。自分が自分として認められている教育か・・・。確かに日本の公立学校では、生徒一人ひとりの「その子らしさ」を十分に伸ばそう
という雰囲気は感じられない。むしろ、みんなに同じことをさせられ、みんなと協調することがよいと言われ、その中で模試の成績をどんどんあげなさい、という雰囲気じゃなかったかな。少なくとも私の通ってきた学校はそうだった。
私がこういう話を他人にすると、よく「でも勉強をしないと将来の選択肢も限られてくるから、小~高校生のときに無理矢理でもきちんと勉強させるのは必要じゃない?」と言われるが、今回の講演で理事長は「そうした教育を受けてきた大学生は、目的意識の無い人があまりにも多い」と言っていた。(ちなみに理事長の本職は大学教授。)
自分が何をしたいのかわからない学生が大学にどれだけ多いのか、大学に行っているみなさんならきっと実感として分かると思います。
またもう一つ印象的だったのは、「子どもたちが自分でやろうと決めたことを、途中であきらめて放り出そうとしたら、どのように続けさせるのですか?」という質問から会場から出た時の理事長の応え。
理事長:「途中であきらめてしまうことが悪いことではありません。大人だって、途中であきらめてしまう人はたくさんいるじゃありませんか。大切なのは“完成させること”ではなく、“自分がここまで頑張った”と思うことと、頑張ったプロセスです。」
確かに、私たちは自分たちでもできないこと、しんどいことを子どもに「やりなさい!」と言っているのかもしれないなぁ。(私に子どもはいませんが・・)その時点で大人>子どもの権力構造が出来上がっているけれど、大事なのは上からルールで押さえつけたり、服従させたりすることじゃなくて、「自分自身で考え、チャレンジし、表現する力」をつけさせることなのではないでしょうか。そして「自分自身で考え、チャレンジし、表現する力」を持っている先生も、少ないと思う。
ちなみに来年書くことになる卒業論文は、教育関係をテーマにしたいなと思っているこの頃。
大分実践的な情報収集ができてきたので、問題意識を明確にするため、これからは文献も読んでいきたいと思います。とりあえず明日は大学の図書館に行こう・・・
2009-07-20 23:39
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Miaちゃん
わたしもスウェーデンの教育制度の勉強をして、実際にスクールビジットをしたときに日本との違いに唖然としたよ。スウェーデンが個人重視でも成り立っているのは「いつでも学校に戻れる仕組みがあること」のような気がします。そのおかげで選択肢はいつでも自分で広げられるし、方向転換もできる。日本はできるだけ多くのことをやらないと後戻りができないから選択肢が狭まってしまうのよね、残念ながら。とわたしは思います。
by marta (2009-07-21 12:29)
卒論かぁ〜
私は若者の失業をテーマにしようと思ってるけど、latなのでなかなか進みません。さらに何をしたらいいか分からないーー
今度助けて☆
by おおちま (2009-07-21 15:37)
>Martaさん
コメントありがとうございます☆
確かに、「いつでも学校に戻れる仕組みがあること」は自分の選択肢を広げるためには重要ですよね。
日本ではそうした選択肢が与えられる機会がないままみんな大学に進んでしまうので、「自分が何をしたいのか分からない学生」や「自分がしたいのはこういう仕事じゃない」と感じてしまう社会人が多いのかもしれません。
図書館に行ってスウェーデンの教育について本を借りてきました!
またブログで発信していきますね◎
いろいろ教えてください(^^)
by Mia (2009-07-21 18:44)
>おおちま
Hej !
今日スウェーデン出発までのカウントダウン・カレンダーを作ったよー。
あと27日だわ^^
日本に帰ってきたら嫌でも大学が始まるので、今はlatに楽しんでいていいと思うよ!(笑)
Borlangeで会えたらいろいろ話そうね☆
by Mia (2009-07-21 18:47)